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2012年1月26日 (木)

第五福龍丸

NHKの日曜美術館で、アメリカのベン・シャーンという画家の特集をしていました。
その画家の代表作の一つに、「ラッキードラゴン」という一連の作品があるという話でした。
最初「ラッキードラゴン」とは何か、ピンと来ずに見ていたのですが、
第五福龍丸のことであると気づいたときに、何かとても惹きつけられるものを感じました。
番組のなかで、第五福龍丸が江東区に保存展示されていることを紹介していました。
ベン・シャーンという画家のことについても、第五福龍丸が現存していることについても、
知らなかったことにショックを受けました。
早速見に行くことにしました。

Lucky_dragonv


第五福龍丸は江東区夢の島にある夢の島公園内にありました。
第一印象は、ものすごい迫力でした。
細かいことは書きませんが、第五福龍丸がビキニ沖の水爆実験で被爆した事実から、
船員の一人が被爆により亡くなったこと、第五福龍丸が様々な経緯を経てここに展示保存されていること等、
詳しく知ることができました。

第五福龍丸が被爆したことは知っていました。
しかし、それは1作目のゴジラという映画を通じて、子供の頃知っただけのことでした。
深い意味などは、考えることもなく、荒唐無稽な映画に現実味をもたせる一つの事実という
認識でしかありませんでした。

福島の原子力発電所の事故以来、
もうすでに、忘れたい、なかったことにしたい、という世の中の空気があるのを感じます。

保存された船のおかげで、ボクは当時とは違う認識を得ることができたのだと思います。

だから今回の原発事故も忘れることのないカタチで残す必要があると感じました。


(イトウタカシ)

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うらと海の子再生プロジェクト

震災直後から、大きな団体に寄付をしても、被災した人たちにすぐには支援が届かないことを
なんとももどかしい思いでいました。

2,3箇月後くらいだったでしょうか、
宮城県塩釜の浦戸地区で、被災した漁業をしている人達が
復旧のための資金を一口1万円で募っていることを知りました。

それは募金ではなく、出資してくれた人には復旧したあとに海産物の「配当」があるかもしれませんという
システムだったのが、新鮮でした。
復旧の時期は当時はまったく予想できなかったのですが、
何年後でも復旧してくれたらそれでいいと思っていました。
何より直接応援できているという実感が嬉しかったことを記憶しています。


Uratokaki_2


すっかり配当のことなど忘れていた先日、浦戸から小包が届きました。
開けてみると、牡蠣と海苔が入っていました。
添えられていた手紙では、復旧は順調で、今年の牡蠣は例年より味がいいとのことでした。

早速1日目は牡蠣鍋にポン酢でいただきました。
次の朝はそのだし汁で、野菜スープ。
2日目は牡蠣シチューと、ありがたくいただきました。ごちそうさまでした。

浦戸の皆さんの頑張りに感動しました。


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2012年1月23日 (月)

ベルのタレ

近くのスーパーに、懐かしいものが売っていました。
P1230029


通称「ベルのタレ」
ベル食品株式会社が発売している、ジンギスカンのタレのことです。
ボクは北海道出身です。家でジンギスカンを食べるときは、ベルのタレを使っていました。
関東地方には、あまり見かけないジンギスカン専用のタレです。

今ではジンギスカンという料理は有名なので、説明の必要がないと思いますが、
簡単に言うと、羊の肉の焼肉です。
東京に出てきたばかりの頃、友達にこの説明をすると、
ずいぶん気持ち悪がられたことを懐かしく思い出します。

生まれた時から、二十歳位まで、このタレでジンギスカンを食べ続けていた結果、
白菜やもやしを炒めただけのものに、このタレをかけると
ジンギスカンになります。
さらに症状が悪化すると、白いご飯の上にこのタレをかけるだけで、
ジンギスカンになります。
白いご飯にタレをかけるだけで、羊の肉の食感や風味すら感じることができるようになっているのです。

喜んでジンギスカンのタレを買ってきて、白菜をさっと炒め、
ベルのタレをかけて晩ご飯の一品を作ってみましたが、
僕にはラム肉を感じられたのですが、妻のアキコには、ただの白菜炒めにしか感じられなかったようです。
人間何事も訓練ですね。
(イトウタカシ)

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2012年1月19日 (木)

大学芋

薪づくりの作業の休憩時間です。

Daigakuimo

今日のオヤツは大学芋。
野菜箱にさつまいもの大きいのが一本あったので、
厚手の鍋に大さじ3の油と同じ量の砂糖とちょっぴりお酢をいれ、
切って水に浸けておいたさつまいもを並べて薪ストーブの上へ。
火が通ったら、最後にはちみつか砂糖を少し加えて照りがでたら、ゴマをからめて、できあがり。

薪ストーブで作ると、火がまんべんなく通るような気がします。
コンロだとすぐ焦がしてしまうのですが、今回は無事でした。

(アキコ)

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2012年1月 1日 (日)

蛇神社

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

大晦日から元日の、お決まりのコースがあります。
近所の南養寺というお寺で、除夜の鐘をつき、甘酒と豚汁をごちそうになります。
そして、その足で谷保天満宮に行き、初詣を済ませます。

このコースが基本形なのですが、うちは「みんな仲良く」がモットーなので
神社・お寺・お稲荷さんからイワシの頭まで、何でも拝みます。

元日の昼過ぎ、これも近所にある通称「へび神社」にお参りに行きました。
Hebishrine_2


正式には「矢川弁財天」といい、その敷地内には、神社とお寺が同居しています。
これは明治の神仏分離の際に、神社の部分とお寺の部分(弁財天)が分かれたために
二つの建家に分かれているのだそうです。
もともとこの地域は水が豊富だったせいか、水神様などにまつわる神社だったと思われます。
ここで最も面白いのは、狛犬が蛇になっていることです。
これは「コマヘビ」?
Hebishrine


神社部分の左右に2対のヘビがいるのですが、狛犬のように阿吽(あうん)にはなっていず、
吽吽(うんうん)になっています。

おみくじを引き、お屠蘇をいただき、お札をいただいてきました。
うちの仕事場にある小さな神棚には、谷保天さんの御札と矢川弁財天さんの御札が
仲良く並んでいます。
これぞ最強のツートップ。
今年も怪我なく、病なく、心健やかに過ごせることでしょう。


(イトウタカシ木工房・伊藤隆志/レインファーム・伊藤有吉子)

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伊豆の長八美術館

ずっと行きたいと思っていた、伊豆の長八美術館を訪ねました。
伊豆の西側にあるこの松崎の出身であった左官の名人、長八の作品が展示されています。

古くから日本の家は大工と左官と建具師によって作られていると言ってもいいほど、
左官の仕事は建築の要であり、同時に最もアートに近い仕事。
長八は紙に描く絵と鏝(こて)で描く絵の両方で素晴らしい作品を遺していました。

Chohachi


美術館を出ると、その周りに何軒かのなまこ壁の家がありました。
「なまこ壁」というのは「平瓦」(焼締のタイル)を壁に釘で留め、その釘と目地を塞ぐために白い漆喰を塗ったもの。白い漆喰部分が、半月形で、海鼠(ナマコ)に似ているところから、そう呼ばれるそうです。
平瓦の色の自然なムラと眩しい白い漆喰が連なる姿がいいですよね。

Namakoasahi


ここから散歩気分でナマコ壁の橋を渡り、中瀬邸へ。
明治の商家だったこの建物には、立派な蔵が有りました。
蔵の扉は火事を防ぐ為、分厚い左官で出来ています。
開かれた扉には、火災から蔵を守ってくれる水の神様・竜の鏝絵がありました。
Sakanryu


なまこ壁とか、竜の鏝絵などを見ていると、とてもワクワクしてきます。
これを作った職人さんはきっと、丁稚のころは土運びや土練りだけをさせられて、
何年もしてから、ようやく鏝を使うことを許されて、なまこ壁のような延々と続く単調な繰り返しによって
手を鍛えられて、師匠の手の使い方を盗みながら絵の勉強をこっそりしたのかもしれません。
そしてあるとき蔵の扉飾りを任され、伝統的な型にはまりながらも、自分なりの絵心を滲ませて
鏝を滑らせていたのではないか・・・。そんなことを想像します。

今の家づくりは、「シンプルな白い外壁」とか、「余計な線のないギャラリーのような室内」
が好まれますが、民族性のカケラもなく、つまらないなあと、
自分で作っていながら時々そう思うことがあります。
くどいくらいに連なる瓦屋根やなまこ壁、鬼瓦を見ていると、
モノのカタチには暑苦しいくらいに、作り手の魂が宿っていることを感じます。
単純に「これを作っている現場にいたら、どんなに楽しかっただろう!」と思います。

だからといって、玄関の扉に竜は入れませんので、ご安心を(笑)!


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